アオイのアパート。 ディミトリはアオイの話を聞いていた。ストーカー男の事故を調査しているという男の事を相談されていた。「背後関係を調べるって…… 何か怪しい所があるの?」「私の住所と勤務先をどうして知っていたのかを調べて欲しいの」「妹さんの住所とかは知られているの?」「ええ、最初は妹の所に行って次に私の所に来たと言っていた……」「名刺とか貰った?」「これがそう……」 アオイはディミトリに名刺を一枚見せた。街中の名刺屋で一番安い値段で作ったような奴だ。 そして、書かれている会社の名前は聞いたことも無い物だった。(うん、怪しい……)「ネットで検索しても該当する会社は無かったわ」 アオイは自分でも色々と調べてみたが分からなかったそうだ。会社の電話番号に掛けて見ると相手の男に繋がるのは確認していた。(電話の転送サービスだろうな……) 事務所すら持てない弱小企業が、電話番してもらう為に電話代行サービスを利用する事が多い。 この男もそのサービスを利用しているのだろう。「ストーカー男の家族が知っていたとかじゃないの?」「妹のことが有って、私の家族も男の家族も離散してしまったわ」「じゃあ、住所を辿って来たとか……」「私の実家は更地になってしまっているし、母以外に私達の状況を知っている人はいないかったはず……」 妹が拉致監禁された上にレイプ被害に会った事でアオイの両親は離婚。アオイの母親は自分の実家に帰ってしまっている。 今では半年に一度くらいしか連絡は取り合わないそうだ。父親の現況は不明。 ストーカー男の実家も同じ様に離散してしまっている。だから、接点はどこにも存在しないはずだ。 だから、ストーカー男が死亡しても気にかける人間はいない事になる。 ところがストーカー男は出所して暫くしてから会いに来たらしい。どうやってアオイ姉妹の居場所を知ったのかは不明だった。「死んでからも付き纏うなんて……」 アオイは嘆いてしまっていた。「その調査男は頻繁に接触してくるの?」「明日、会いたいと言ってきたの……」「ふむ……」 アオイは次の日の昼間に、問題の調査男とファミレスで待ち合わせをしてるという。「話すことは無いと言えば良いんじゃない?」「電話で何度も言ってるけど諦めてくれないのよ……」「病院の院長とか大人の男の人に説得してもらう
ファミレスの様子。 アオイは水野と二人っきりでファミレスで逢っていた。こうしないと病院の受付から移動しないのだ。 常識的な勤め人として病院に迷惑を掛けるのが嫌だったのだ。『鴨下さんは僕の会社で働いていたと言いましたよね?』『はい……』『その彼がどうして交通事故に会う場所に行ったのかが分からないのですよ』『私も知りません……』『でも、貴女が住んでる場所の近くじゃないですか?』『同じ市内と言うだけで近くは無いです。 通勤する経路からも外れてますし……』『へぇ、その場所を良くご存知ですよね?』『警察に聞きました……』 水野は何度目かの同じ質問をしているようだ。警察の尋問のやり方にそっくりだが、これは水野が似たような目に有っているからだろう。警察の尋問は同じ質問を繰り返して、相手が答えた時に出来る矛盾点を見つけ出す作業だからだ。 そこを突破口にして真相を抉り出すのが仕事なのだ。『彼は優秀な方で、貴女や妹さんの事は特に目を掛けていたらしいんですがねぇ』『私達の話を聞いたので?』『質問しているのは僕なんだがな』『……』 アオイは水野がどこまで知っているのかを質問したかったが、下手に言うとやぶ蛇になる可能性が有った。 そして水野もアオイが焦れて怒り出すのを待っているようだ。『特に妹さんの事を話す彼は楽しそうでしたよ?』『……』 水野は言外にストーカー男がやった事を匂わせているようだ。そうすることでアオイを怒らせて白状させようとしているのだと推測できた。 それはアオイにも感づかれたようで話を逸らし始めた。『私達は彼には特に思い入れは有りませんわ』『でも、同じ市内に住んでるのはご存知だったんでしょ?』『さあ、知りません……』 これは事実だったのだろう。一家離散してまで逃げたのに、またストーカー男が目の前に現れた時の絶望感は察して余りある。 だからこそ、ストーカー男を永久に黙らせる方法を選んだに違いないからだ。『妹さんのアパートに訪ねに行ったと言ってましたが……』『ええ、聞いてます。 それから妹は友人の家に避難してます』『その後で不幸な交通事故に有った……』『……』『偶然ですかねぇ?』 恐らく水野はストーカー男の事故の原因をアオイであると思っている。それは当たっているが証拠がどこにも存在しない。 そこで揺さぶりを掛け
学校。 ディミトリは水野の移動を監視していた。授業中にスマートフォンを見る事は出来ないので、休み時間ごとにトイレで見ていた。 水野は例の襲撃したマンションに帰宅したようだ。(あの場所からアジトを移動してないのか……) ここで手を止めて考え込んだ。アオイに渡した名刺の名前は『桶川克也』となっている。 名前を変えているのは、違う詐欺事件を考えているのだろうかと考えた。(引っ越しの金が無いのか?) 彼らは警察のガサ入れに遭っている。という事は警察に事情徴収されているはずだ。 なのに外に出ているという事は、詐欺事件との関係を立証できなかったかで釈放されたのであろう。 (俺なら引っ越しして身を潜めるんだがな……) 普通なら同じ場所に住み続ける気には成らないはずだ。警察は証拠無しぐらいでは諦めない。蛇のようにしつこいのだ。 だから、警察の監視が付くのは分かりきっている。これは水野も知っているはずだった。(或いは移動できない理由が有るかだ……) ディミトリの顔に笑みが広がっていく。金の匂いを嗅ぎつけたのか、ディミトリは鼻をヒクつかせもした。 ディミトリは帰宅した後で、マンションに行って盗聴器と監視カメラを仕掛けるつもりだ。 二回目の仕掛けは手慣れたのも有って短時間で済んだ。盗聴器は同じ場所に設置したが、監視カメラは通りが見える場所にした。警察の監視が付いていると思われるからだった。 盗聴器を仕掛けて直ぐに、水野が誰かと会話しているらしい場面に遭遇した。『大山は直ぐに出てくると思いますので、金の事は大山と話してください……』 大山とはディミトリが散々痛めつけたリーダーであろう。直ぐに出てくると話していると言う事は拘留されたままなのだ。 残りの二人は他の詐欺グループにでも鞍替えしたのか居ないようだ。『いえ、勝手すると自分がシメられてしまうんで勘弁してください……』 水野はリーダーが隠した金の保管を任されているようだ。 恐らく証拠不十分で不起訴になってしまうだろう。彼らは決定的な証拠は隠滅しているらしかった。(そうか…… まだ、金は持っているんだな……) だが、肝心な所は彼らは上納金を渡していないという点だ。 その事を知ったディミトリはニヤリと笑っていた。『小遣い稼ぎは自分でやってますんで…… はい…… 大丈夫です』 相手はケツモ
自宅。 ディミトリは盗聴した結果をアオイに電話で伝えた。そして、彼を呼び出す様に言ったのだ。『どうするの?』「どうせ、まともに質問しても答えないだろう?」『うん……』「だからさ……」 ディミトリは自分の計画をアオイに言い聞かせた。彼女は絶句していたが、妹のために協力を約束した。 数時間後。アオイが公園で待っていると水野は一人でやって来た。「こんばんは。 今日は妹さんはご一緒では無いので?」「これからやって来るんです」「そうなんで……」 ディミトリはアオイに気を取られている水野に近づき、後ろからスタンガンで気絶させてしまった。「え?」「ちゃんと自主的に答えやすいようにしてあげるのさ」 ディミトリはほほえみながら答えた。気絶させたのは、身柄を拐って廃工場に連れ込む為だ。 結束バンドで手を拘束して車に詰め込み、薬の売人たちを始末した工場に向かった。(あの工場なら今も無人のはずだ) 一度、罠として使用した工場をチャイカたちが再び来るとは思えなかったからだ。 ディミトリとアオイは工場の奥の部屋に水野を運び込み椅子に縛り付けた。(次は金庫の鍵を……) 水野の荷物から鍵を取り出し、アオイにマンションに向かうように頼み込んだ。鍵はどれだか分からないが、肌身離さず持っているはずだと睨んでいたのだ。違っていたら聞き出せば良い。その方法なら良く知っている。「でも、そこって……」 ディミトリが言った住所を聞いた時にアオイの表情が曇った。彼女が『ストーカー男』を始末した場所だからだ。「ああ、水野たちのアジトがあるんだよ」「水野?」「ん? あの男の名前だよ?」「え? 偽名だったの?」「そう、元はオレオレ詐欺のグループのメンバーなのさ」 元々、水野たちのマンションを見張るのが目的だったのだ。そのカメラに事故の様子が映っていたのだと、説明すると彼女は納得したようだった。「君って本当は幾つなの?」 監視カメラの設置とか、拳銃を持っていたりとかアオイの常識の範疇を越えていた。とても、中学生とは思えなかったのだろう。 もっとも中身は三十五歳のおっさんだが、彼女が知っても意味が無いのでディミトリは言わない事にしていた。「ぼくみっちゅ……」「もう……」 ディミトリがふざけるとアオイが頭を小突いてからクスクス笑っていた。 鍵を入手したディ
廃工場。 ディミトリとアオイの二人は、目的の金を手に入れたので廃工場に戻ってきた。 水島は椅子に縛られたままグッタリとしていた。『起きろ!』 ディミトリは水野たちを襲撃した時に被っていたマスクで声を掛けた。声も同じ様に変声アプリで変えている。 アオイは少し離れた壁際で、手を後ろに回して座っていた。一見すると拘束されているように見える。「!」 目を開けた水野はマスクを被った男に気がつくと驚愕していた。そして、縛られた身体を捻るようにしながら必死に逃げようとしている。しかし、結束バンドで両手両足を椅子に固定されているので自由にならない。「て、テメエはっ!」「解けっ!」「ぶっ殺してやるっ!」 ディミトリは暴れる水野を革バットで殴りつけた。鈍い打撃音が室内に響き渡る。『金はどこにある?』「知らねぇって言ってるだろ!」 ディミトリは革バットで水野を殴りつけた。水野の口から歯がこぼれ落ちた。奥歯が折れたのであろう。『ちゃんと質問に答えろ』「いえ、知りません……」 ディミトリは革バットで水野を殴りつけた。『金庫の鍵は持っているのに金庫の場所は知らないっていうのか?』「え?」 ここで、水野はマスクの男が自分の独り言を知っている訳に気が付いた。目をパチパチしながら視線が泳いでいるのが分かる。 ひどく動揺しているのであろう。『もういい…… お前が嘘付きだってのは良く分かった』 ディミトリはディバッグの中身を水野に見せた。そこには金の札束が詰まっていた。「え?」『台所に有ったよ……』「知っているのなら……」 水野は俯いている。どうやら万事休すだと思い知ったようだ。だが、肝心の話はこれからだった。 アオイの件を片付けなければならない。金だけだったら身柄を拐う必要が無いからだ。『で、この女は誰だ?』「知らねぇよ!」 ディミトリは再び革バットで水野を殴りつけた。ここからが肝心な部分だ。彼の希望を打ち砕く必要がある。 そうしないと本当の事を話さないであろう。『ちゃんと質問に答えろ』「知りません」『そう、それで良い。 だったら、何で一緒に居たんだ?』「……」 水野は黙り込んだ。どこまで話して良いのかを思案しているのであろう。だが、それもディミトリの計算の内だ。「その人は妹のストーカー男の事で、私の周りをウロツイて居たんで
『じゃあ、これからは巧く逃げる事だな……』「え?」『公園で女と待ち合わせしてから、何日経っていると思ってるんだ?』「え?」『どうして金庫に有るはずの金を俺が持っていると思うんだ』「……」『大山ならとっくに釈放されたよ』 もちろん嘘だ。だが、気を失っていた水野にはバレないはずだ。『大山も神津組も、お前が金を横領したと思っている……』「ちょ!」『そう、思わせるように工作しておいた』「なんて事をしてくれたんだ!」『お前らは悪戯が過ぎたんだよ……』「金をかっさらったのはお前だろうがっ!」『知らない男に拉致されて金を奪われました…… そんな眠くなりそうな御伽噺を誰が信じるんだ?』「大山なら信じてくれるはず……」『スジモンの拷問がエグい事は知らない訳じゃないだろ』「……」『耐えられるのかね?』「くっ……」『ふん……』 ディミトリは頭の後ろで、マスクを固定していたバンドを緩めた。「それに大山って奴なら神津組が連れて行ったぜ?」 被っていたマスクを取りながら言った。「小僧……」 水野は自分を脅していたのが、童顔の小僧だと知って驚いていた。だが、直ぐに顔を真っ赤にして激怒しはじめた。 しかし、直ぐに怪訝な表情になった。「あれ? お前って……」 どうやら若森忠恭である事に気が付いたようだ。 それと時を合わせるかのように、後ろに手を組んで座っていたはずのアオイが、手を払いながら立ち上がってきた。 呆けた顔で二人を見比べた水野は、ここに至ってようやく気が付いた。「お前らはグルだったのか!」 水野はディミトリに掴みかかろうと一歩踏み出した。ディミトリはナイフをチラつかせて見せた。 彼はナイフを見て怯んだ。自分は手ブラの状態だからだ。しかも、これから神津組から逃げる算段をしないといけない。 ディミトリの言う通り金を取られてしまったなど信じてもらえないだろう。喧嘩などしている場合では無いのだ。「クソっ!」 ディミトリは無言でナイフで追い払う仕草をしてみせた。水野はがっくりと肩を落として出口に向かおうとしていた。 だが、机の上に置かれたナイフが水野の目に止まった。すると、水野の怒りが爆発したようだ。 水野は机の上に有ったナイフを掴んだ。そして、そのままディミトリに向かって突進してきた。 次の瞬間。ドンッ 背中から銃
自宅。 廃工場に有った水野の死体は網に入れて下水の中に吊るしておいた。こうすると、日常の排水で死体が削られて、骨だけになるのが早いのだ。おまけに遺体独特の悪臭も防げる方法だった。 このやり方はロシアのマフィアが好んだやり方だ。 何故、知っているのかというと、少年時代に悪さをして捕まった時。警察の留置所で、同房のマフィアのおっさんに教わったからだ。彼は生意気そうな小僧に自慢したかったのだろう。 まさか、見知らぬ国で役に立つとは思わなかった。 詐欺グループから戴いた金はアオイに預かって貰っていた。 大金過ぎてどこに隠すかを考えていなかったせいもある。また、捨てられたら敵わない。 数日、経って詐欺グループのマンションで動きが有った事が分かった。 水野の携帯電話を盗聴モードにしたまま、家で盗聴してそれを録音をしていたのだ。 日中は学校がある。中学生らしく塾に行くし、ちょっと銃で撃たれたりして忙しい。 それに傷の経過をアオイに見てもらったりする必要もある。 最初は部屋の中にドタドタと足音が響いていた。水野を呼ぶ声も聞こえる。『あっ、金がねぇ!』『どういう事だ? あっ??』『金庫の中の金が全部無いんです……』 大山と思わしき声が録音されていた。別の人物の声が聞こえる。 これ見よがしに金庫は開けっ放しにしておいたのだ。水野の荷物と思われる物も運んでおいた。 彼らは直ぐに何が起きたかを理解したらしい。『どうすんだ? オマエ??』『……』『お前がサツにガラ拐われたって言うから、今まで待ってやったんだろ?』『いや、水野に金を持ってかれたみたいで……』 別の人物の声が大きくなるのに比例して大山の声は小さくなっていった。 どうやら大山は神津組の連中と一緒のようだ。釈放されて警察から出た所で捕まってしまったのだろう。『それが組と何の関係があるんだ?』『でめえのダチの不始末だろ?』『舐めてるんか?』 何やらドスの聞いた声が聞こえる。録音を聞いていても分かるぐらいに険悪な空気に成った。 すると何やらひとしきり殴打する音や、何かが暴れる音が響いて急に静かになった。 その後、何かを引きずる音が聞こえた後は静かになった。 これで詐欺グループの連中にも罰が下ったのだろう。「クスクス……」 ディミトリは録音を聞きながら笑い声を漏らしていた。
大山病院。 翌日、ディミトリは大山病院に来た。アオイに電話してもメールしても連絡が付かない。 そこで、直接会いに来たのだった。 鏑木医師が死んでから大山病院には来ていない。誰が鏑木医師の仲間なのか不明だからだ。 それに、中華系の連中の動向も掴めていない。鏑木医師が死んだのに何もアクションを起こして来ないのも不気味だ。(追跡装置で把握しているだろうに……) 彼らはディミトリの住んでいる場所も行動範囲も知っているはずだ。(或いは知っているから泳がせているつもりなのか……) つまり、何も分からない状態で、ノコノコと大山病院に来るのは危険な行為なのだ。 だが、今回は事情が違っている。金を持ち逃げされようとしているのだ。危険を犯すだけの価値は有りそうだった。(折角、苦労して手に入れた大金を諦めるわけにもいかないしなあ……) だから、危険を承知の上で大山病院にやって来たのだ。 正面の入り口を入って、直ぐに受付には行かずに長椅子に座って周りを見渡していた。 誰かがディミトリを注視しているようなら、直ぐに逃げ出すためにだ。 病院には雑多な人がやってくる。病気の人は勿論の事、入院患者の見舞いや出入りの業者などだ。人が多いので誰も一介の中学生には目もくれないはずだ。そんな中で目を合わせる人物が居たら、自分を監視しているという事だ。 幸い、誰も自分を見ていないようなので受付の前にやって来た。受付で兵部葵を呼び出して貰おうとしたのだ。 しかし……「兵部さんなら一昨日退職なされましたよ?」 受付の女性にあっさりと告げられてしまった。その事にディミトリは唖然としてしまった。「ええ? 随分と急ですよね??」「はい、私達も戸惑っております」 その割には淡々と告げる受付の女性。「どうしてなのか分かりませんか?」「はあ、自己都合なので詳細はお教え出来ません」 にこやかに答えるが目は笑っていない。少し警戒しているのかも知れなかった。「そうですか…… 何とか連絡先とか教えて貰えないでしょうか?」「それは個人情報保護の問題も有るので出来かねます」 そう言って頭を下げた。この話はここで終わりということだろう。 病院は患者個人のデリケートな問題を取り扱う。なので、個人情報の扱いはかなり厳しい。それは医療関係者にも当てはまるのだ。一般市民が尋ねても教えて貰
『はい……』「帰りの足が無くて往生してるんだ」『はい……』 ディミトリは電柱に貼られている住所を読み上げた。田口兄は十五分程でやってこれると言っていた。『あの連中は何か言ってましたか?』「ああ、鞄を返せとは言っていたが、それは気にしなくて良い」『どういう事ですか?』「話し合いの最中にバックに居る奴が出て来たんだよ」『ヤクザですか?』「そうだ」『……』「ソイツの組織と別件で前に揉めた事があってな……」『あ…… 何となく分かりました……』「ああ、かなり手痛い目に合わせてやったからな」『……』 ディミトリの言う手痛い目が何なのか察したのか田口兄は黙ってしまった。「俺の事を知った以上は関わり合いになりたいとは思わないだろうよ」『い、今から迎えに行きます』 田口兄はそう言うと電話を切ってしまった。 大通りに出たディミトリは、道路にあるガードレールに軽く腰を載せていた。考え事があるからだ。 帰宅の心配は無くなった。だが、違う心配事もある。(本当に諦めたかどうかを確認しないとな……) 追って来ない所を見ると諦めた可能性が高い。だが、助けを呼んでいる可能性もあるのだ。確かめないと後々面倒になる。 その方法を考えていた。(家に帰って銃を持って遊びに来るか…… いや、まてよ……) そんな物騒な事を考えていると、違う方法で確認出来る可能性に気が付いた。(剣崎が灰色狼に内通者を持っているかもしれん……) ディミトリの見立てでは剣崎は灰色狼に内通者を作っていたフシがある。 灰色狼は日本に外国製の麻薬を捌く為
隣町の路上。 店を出たディミトリは、大通りの方に向かって歩いていった。なるべく人通りが或る方に出たかったからだ。 彼らが追撃してくる可能性を考えての事だった。相手が戦意を失っている事はディミトリは知らなかった。だから、追撃の心配は要らなかった。 だが、違う問題に直面していた。(う~ん、どうやって家に帰ろうか……) 学校帰りに大串の家に寄っただけなので、手持ちの金は硬貨ぐらいしか持っていない。ここからだとバスを乗り継がないと帰れないので心許ないのだ。(迎えに来てもらうか……) そう考えたディミトリは、歩きながら大串に電話を掛けた。 まさか、バーベキューの串で車を乗っ取るわけにもいかないからだ。「そこに田口はまだ居るのか?」『ああ、どうした?』「田口の兄貴に俺に電話を掛けるように伝えてくれ」『構わないけど……』 大串が言い淀んでいた。気がかかりな事があるのは直ぐに察しが付いた。「田口の兄貴を付け回していた車の事なら、もう大丈夫だと言えば良い」『え!』「お前の家を出た所で、田口の兄貴を付け回してた連中に捕まっちまったんだよ」『お、俺らは関係ないぞ?』前回、騙して薬の売人に引き合わした事を思い出したのだろう。慌てた素振りで言い訳を電話口で喚いている。「ああ、分かってる。 連中もそう言っていた」『……』「きっと、見た目が大人しそうだから言うことを聞くとでも思ったんだろ」『無事なのか?』「俺が誰かに負けた所を見たことがあるのか?」『いや…… 相手……』「大丈夫。 紳士的に話し合いをしただけだから」『でも、それって……』「大丈夫。 今回は殺していない……」『&helli
「この通りだ……」 ワンは銃を机の上に置いた。そして、両手を開いて見せて来た。「なら、その銃を寄越せ……」 ワンは銃から弾倉を抜いて床に置き、足先で滑らせるように蹴ってきた。ディミトリはそれを靴で止めた。「アンタに弾の入った銃を渡すと皆殺しにするだろ?」(ほぉ、馬鹿じゃ無いんだ……) 彼の言う通り、銃を手にしたら全員を皆殺しにするつもりだった。 ワンはそれなりに修羅場をくぐっているようだ。 ディミトリは滑ってきた銃をソファーの下に蹴り込んだ。これで直ぐには銃を取り出せなくなるはずだ。「鶴ケ崎先生はどうなったんだ?」「おたくのボスに殺られちまったよ」「……」 どうやら、灰色狼は組織だって動いて無い様だ。誰が無事なのかが分かっていないようだ。「それでボスのジャンはどうなったんだ?」「さあね。 ヘリにしがみ付いていたのは知ってるが着陸した時には居なかった」「殺したのか?」「知らんよ。 東京湾を泳いでいるんじゃねぇか?」(ヘリのローターで二つに裂かれて死んだとは言えないわな……) 手下たちは額に汗が浮かび始めた。さっきまで脅しまくっていた小僧がとんでも無い奴だと理解しはじめたのだろう。「ロシア人がアンタを探していたぞ……」「ああ、奴の手下を皆殺しにしてやったからな…… また、来れば丁寧に歓迎してやるさ」 ディミトリは不敵な笑みを浮かべた。 ワンは少し肩をすぼめただけだった。どうやらチャイカと自分の関係を知らないらしい。「俺たちは金儲けがしたいだけだ。 アンタみたいに戦闘を楽しんだりはしないんだよ」「……」 やはり色々と誤解されているようだ。自分としては降りかかる火の粉を振り払っているだけなのだ。結果的に
ナイトクラブの事務所。 ディミトリは弱ってしまった。部屋に入ってきた男はジャンの部下だったのだ。そして、この連中はコイツの手下なのだろう。 折角、滞りなく帰宅できるはずだったのに厄介な事になりそうだ。(参ったな……) ディミトリは顔を伏せたが少し遅かったようだ。男と目が合った気がしたのだ。「お前……」 入ってきた男が何かを言いかけた。その瞬間にディミトリは、右袖に仕込んでおいたバーベキューに使う金串を、手の中に滑り出させた。こんな物しか持ってない。下手に武器を持ち歩くのは自制しているのだ。 ディミトリは車で送ってくれると言っていた男の髪の毛を引っ張って喉にバーベキューの串を押し当てる。 これならパッと見はナイフに見えるはず。牽制ぐらいにはなると踏んでいるのだ。 いきなり後頭部を引っ張られてしまった相手は身動きが出来なくなってしまったようだ。何より喉元に何かを突きつけられている。 兄貴と呼ばれた男と部屋に居た残りの男たちも動きを止めてしまった。「動くな……」 ディミトリが低い声で言った。優等生君の豹変ぶりに周りの男たちは呆気に取られてしまっている。 しかし、入ってきた男は懐から銃を取り出して身構えていた。ディミトリの動きに反応したようだ。「え? 兄貴の知り合いですか?」「何だコイツ……」 部屋に居た男たちはいきなりの展開に戸惑いつつ兄貴分の方を見た。「ちょ、待ってくれ!」 だが、兄貴と呼ばれた男が意外な事を言い出した。(ん? 普通はナイフを捨てろだろ……) ディミトリは妙な事を言い出した男に怪訝な表情を浮かべてしまった。「俺は王巍(ワンウェイ)だ。 日本では玉川一郎(たまがわいちろう)って名乗っているけどな……」「ああ、ジャンの手下だろ…… 倉庫で
「田口君のお兄さんが鞄を持って行ったって何で解ったんですか?」 大串の家で聞いた限りでは誰にも見られていないはずだ。だが、現に田口の家ばかりか交友関係まで把握しているのが不思議だったのだ。「防犯カメラに田口が鞄を弄っている様子が映ってるんだな」 一枚の印刷された画像を見せられた。防犯カメラと言うよりはドライブレコーダーに録画されていたらしい画像だ。 黒い革鞄と田口兄が写っている。それと車もだ。ナンバープレートも写っていた。(泥か何かで隠しておけよ……) 泥棒は車で移動する時にはワザと泥などでナンバープレートを隠しておく。防犯カメラに備えるためだ。「鞄を返せと言えば良いだけだ」「鞄の中身は何なの?」 何も知らないふりをして質問してみた。「中身はお前の知ったこっちゃない」 男はディミトリをギロリと睨みつけながら言った。「まあ、そんなに脅すなよ。 中身はそば粉と子供玩具と湧き水を容れたボトルさ」「?」 子供騙しのような嘘だとディミトリは思った。「この写真を見せながら言えよ?」 ボス格の男はそう言うと何枚かの写真を投げて寄越した。 写真には田口と田口兄。それと一組の夫婦らしき男女の写真と、小学生くらいの女の子の写真があった。田口の家族であろう。 最後は故買屋の防犯カメラ映像だ。鞄の処理の前に銅線を売りに行ったらしい。 普通の窃盗犯であれば仕事をした後は暫く鳴りを潜めるものだ。そうしないと探しに来る者がいるかも知れないのだ。(ええーーーー…… 素人かよ……) 余りの幼稚な行動にめまいがしてしまった。「そば粉なら、また買えば良いんじゃないですか?」 ディミトリは話の流れを変えようと言い募った。 窃盗した後に迂闊な行動をする馬鹿と、見張りも立てずに取引物をほったらかしにする素人など相手にしたくなかったのだ。「そば粉は別に良い。 ボトルを返せと言えば良い……」 ここで、ピンと来るモノがあった。(そば粉だと言う話は本当だろう……) 見つかった時の言い訳用だ。拳銃が玩具だというのも本当だろう。万が一、職務質問で見つかっても警察が勘違いだと思わせることが出来るはずだ。 ボス格の男が色々と蕎麦に関してのウンチクを並べているがディミトリの耳に入って来なかった。(だが、ボトルの中身は…… 麻薬リキッドだな……) ディミトリはボトル
大串の家の近所。「いいえ、別に友達ではありません……」 ディミトリは警戒して言っているのでは無い。本当に友人だとは思って居ないのだ。「でも、田口のツレの家から出てきたじゃねぇか」 男の一人が大串の家を顎で示しながら言った。 これで男たちが田口を尾行して、彼が大串の家を訪ねるのを見ていたと推測が出来た。「学校でクラスが同じなだけです……」 ちょっと、面倒事になりそうな予感がし始め、ディミトリは警戒感を顕にしていた。「ちょっと、オマエに頼みたいことが有るんだ」 男が手で合図をすると車が一台やって来た。やって来たのは白の国産車だ。 大串たちの話ではグレーのベンツだったはずだが違っていた。「ちょっと、付き合ってくれ」 開いた後部ドアを指差した。「クラスの連絡事項を伝えに来ただけで、僕は無関係ですよ?」 妙齢のお姉さんであれば喜んで乗るのが、おっさんに誘われて乗るのは御免こうむるとディミトリは思った。「田口に届け物を渡して欲しいんだよ」「それなら、おじさんたちが直接渡したらどうですか?」 ディミトリは尚もゴネながら逃げ出す方法を考えていた。「良いから。 乗れって言ってんだろ?」 ディミトリを知らないおっさんは頭を小突いた。瞬間。頭に血が上り始めた。(くっ……) だが、人通りもあって我慢する事にしたようだ。今はまだディミトリは冷静なのだ。ここで、喧嘩沙汰を起こすと警察が呼ばれてしまう。それは無用な軋轢を起こしてしまう。 それに相手は中年太りのおっさんが三人。ディミトリの敵では無い。チャンスはあると思い直したのだった。(周りに人の目が無ければ、コイツを殺せたの……) ディミトリは残念に思ったのだった。 こうして、ディミトリは大串の家から出てきた所を拉致されてしまった。 連れて行かれたのは中途半端な繁華街という感じの商店街。端っこにあるナイトクラブのような地下の店に連れ込まれた。 まだ、開店前らしく人気は無かった。その店の奥にある事務所に連れ込まれた時に、白い粉やら銃やらをこれ見よがしに置かれているのを見かけた。(ハッタリかな……) まるで無関係の奴に見せても益が無いはずだ。ならば、ハッタリを噛ませて言うことを効かせようという魂胆であろう。 ヤクザがやたら大声で威嚇するのに似ていた。「よお、坊主…… 済まないな……」
「それでマンションに忍び込んで、各階の電線を盗みまくっていたらしいんだけど……」「マンションって屋上にエレベーターの機械室があるじゃん?」「ああ」「そこに入った時に鞄が落ちてたんだそうだ」(いや、それは隠してあると言うんじゃないか?) ツッコミを入れたかったが話を済ませたかったので続きを促した。「工事道具を置きっぱなしにしたものかと思ったんだよ」 鞄の上部にスパナやレンチなどの道具が入っていたそうだ。それで勘違いしたらしい。 こんな物でも故買屋は引き取ってくれるのだそうだ。「それで儲けたと思って鞄と電線を持って帰ってきたんだ」(何故、その場で確認しないんだ……) チラッと見ただけで済ませたらしい。ディミトリのように疑り深い奴なら鞄をひっくり返して中身を確かめるものだ。「でもって、車に戻って中身を全部見たら、拳銃と白い粉が入っていたんだよ」 そのセットはどう考えても犯罪組織に関わり合うものだ。「どう考えても様子がおかしいから、兄貴たちはビビっちまってロッカーに隠したんだってさ」 元の場所に戻しに行こうとしたが、車がやって来るのが見えたので慌てて逃げたらしい。(受け渡しの途中だった可能性が高いな……) 金と物の交換を別々の場所で行い、お互いの安全を図る方法だ。警察の手入れを受けても金だけだと検挙出来難いからだ。 何度も取引をしている組織同士なら安全を優先するものだ。 普通は見張りを配置しておくものだが、それが無かった様子だった。何らかの事情で人手不足だったのかも知れない。「その時には周りに何も無かったらしい」(でも、見落としがあったから今の状態だろうに……)「安心していたら何日か経ってから監視されるようになったんだよ」(所詮は素人が見回した程度だからな……)(時間が掛かったのは監視カメラか何かに映っていたのか?) 恐らくは車などに積まれているドライブレコーダーから足が付いたのではないかと考えた。廃墟のマンションに防犯カメラは設置されていない可能性が高いからだ。「で、具体的に何か言って来たのか?」「いや、ただ付けられただけみたい……」 要するに何もされて居ないのに、勝手に怖がっているだけのようだ。ディミトリは呆れてしまった。「何かしてくるようなら、その時に相談に乗るよ……」 何も要求されていないのなら、何も言う
放課後。 その日一日を平穏無事に済ませたディミトリは帰り支度をしていた。そこに大串が再びやって来た。「なあ……」「行かないよ?」 大串の思惑が分かっているディミトリは素っ気無く言った。「まだ、何も言ってないじゃん……」「田口の兄貴に関わる気は無いよ」「じゃあ、せめて田口の話だけでも聞いてくれよ」「そう言えば今日は田口が来てないな……」 ディミトリが周りを見渡しながら言った。興味が無かったので田口が居ないことに、その時まで気が付かなかったのだ。「ああ、放課後に俺の家に来ることになっている」「そうなんだ」「お前が田口の家に行かないと言ったら、俺の家で相談に乗って欲しいって言ってきたんだよ」「だから、面倒事に関わる気は無いんだってば」「いや、アドバイスだけでも良いと言ってる」「……」「かなり困っているみたいなんだよ」「なんだよ。 情け無いな……」 大串の説得に話だけでも聞いてやるかとディミトリは思った。 それでも手助けはやらないつもりだ。迷惑を掛けられた事はあるが助けてもらった事など無い。いざとなったら、誰かが助けてくれるなどと考えている甘ちゃんなど知った事では無いのだ。(悪さするんなら覚悟決めてやれよ……) そんな事を考えながら、大串と連れ立って彼の家に向かう。 ディミトリはその間も通る道を注意深く観察していた。彼には警察の監視が付いていたはずだからだ。 ところが最近は見かけないと言っていた。恐らく公安警察の剣崎と対峙したあたりから監視が外れているようだ。 ディミトリには何故剣崎が自分を捕まえないのか分からなかった。(まあ、面倒臭そうなら剣崎に投げてしまう手もあるな……) 剣崎が冷静を装ったすまし顔を困惑するのが浮かぶようだ。ディミトリは少しだけほくそ笑んだ。 大串の部屋に入ると田口が暗そうな顔をして座っていた。「やあ」 ディミトリはなるべく明るめに挨拶をしてやった。 まずは話を聞くふりをする必要がある。マンションに忍び込んだ様子から聞き始めた。「兄貴たちは銅線を集めにマンションに行ったんだ」 田口が話している廃墟マンションは何処なのかは直ぐに分かった。 川のすぐ脇にある奴で何年も工事中だったと話を聞いている。工事をしている業者が倒産してしまい、途中で放棄状態になっているマンションなのだ。 そこに田口
「そんな危なっかしい物、どっかのロッカーに押し込んで警察にチクってしまえよ」 ヤクザが足を洗う時には拳銃の処分に困るものだ。海に捨てたり山に埋めたりする手もあるが、面倒くさがりの奴は何処にでもいるものだ。そこで、ロッカーに入れて警察に密告するのだ。後は警察が処分してくれる。「ああ、そうしたんだそうだ……」 田口兄はコインロッカーに鞄を詰め込んで警察に匿名の電話を掛けた。チンピラに毛の生えた程度の小悪党には、薬の売買など手に余ってしまう。ましてや拳銃は犯罪に使われていない確証も無い。巻き込まれるのは嫌だったのだろう。 コインロッカーの場所には警察の車両が集まっていたので、無事に回収されたのだと思ったらしい。「厄介物の処分が終わったんなら良いじゃねぇか」「ところが、田口の兄貴は見張られて居るらしいんだよ」「誰に?」「ここ数日、グレーのベンツが付いて廻るんだと言っていた……」「鞄の元の持ち主じゃねぇの?」「それが分からないから相談したいんだそうだ」「ふーん……」 ここでディミトリは考え込んだ。もうアオイの車を気軽に使えないので、足代わりになる者が必要だからだ。 田口兄は足代わりになるが、今回の事のように少し抜けている所がある。(関わっても得にならねぇな……) 冷静に考えても見張っているのは鞄の所有者だった連中だ。きっと、揉め事になる。揉め事を解決してやっても、得るものが無いと判断したディミトリは見捨てることにした。「俺には関係無い事だ」 ディミトリはそう言って立ち去ろうとした。「そんな冷たい事を言うなよ……」「前にも似たような事言って俺を嵌めたよな?」「……」 これは大串の彼女が薬の売人と揉めたと偽られて嵌められた件だ。元来、ディミトリは裏切り者は許さない質だ。たとえ反省しても、一度裏切った人間は再び裏切るからだ。これは傭兵だった時に何度も経験済みだ。 今、大串たちを処分しないのは、ソレを実行すると日本に居るのが難しくなると考えているに過ぎない。 彼らの命は首の皮一枚で繋がっているだけなのだ。(俺の周りはロクでなしばかりだな……) ディミトリは苦笑してしまった。少し、ハードな日々が続いて疲れているのだ。 出来れば何も起こらないことを願っていた。 今回の田口兄にしろ小波が大波になってしまう。今はなるだけ避けたいものだと